前回は、「認知症」や「発達障害」は、ある意味「社会の病気」でもあることや、「発達障害の気質」が強い人が問題なく過ごせるかどうかは周りの人たち次第であるというお話をしました。
さらには、周りにいる人たちの心持ち次第で、「発達障害の気質」を強く持つ人ほど有していやすい突出した能力をさらに伸ばし、その得意な能力を活かして逆に社会に貢献してもらえるかもしれないというお話もしました。
今回はその続きになります。
「発達障害の気質」が強い人ほどストレスをいかに減らせるかが課題
周りにいる人たちの認識や対応いかんで「認知症」や「発達障害」の症状は大きく左右されるということは、これまでにもお話ししてきたことです。
では、実際に「発達障害の気質」が強い人に対して、周りの人たちはどのように接していけば良いのでしょうか。
まず認識しておかなければならないことは、もともと「発達障害の気質」が強い人は「脳神経細胞の脆弱性(ぜいじゃく)」を有する傾向があるということです。
「脳神経細胞の脆弱性」とは、脳神経細胞がストレスに弱くて器質的に変性しやすいということです。
つまり、「発達障害の気質」が強い人ほどストレスによって脳神経細胞が傷つきやすく、ストレスの多い生活を続けることは、脳神経細胞の変性を後押しすることになりかねないのです。
ちなみに当院で「アルツハイマー型認知症」や「レビー小体型認知症」といった認知症を伴う神経変性疾患の診断を受けた患者さんやその家族に、本人の若い頃からの性格について振り返ってもらうと、もともと「発達障害の気質」を有しているケースがとても多くなっています。
このことから私たちは、もともと「脳神経細胞の脆弱性」を有している「発達障害の気質」の強い人ほど脳神経細胞が変性しやすく、それで神経変性疾患に至りやすいのではないかと考えています。
つまり、「発達障害の気質」が強い人ほどストレスの影響を受けやすく、それで認知症を伴う神経変性疾患に移行しやすくなっているのではないかということです。
そうすると、「発達障害の気質」が強い人たちにとっては、日常的にいかにストレスの少ない生活を送れるかどうかが脳神経細胞レベルの健康にとっては特に大事になるのです。
そればかりではありません。
脳神経細胞レベルの健康を保つだけでなく、脳神経細胞の発達や成熟を促すうえでも、いかにストレスの少ない生活を送れるかが大事になるのです。
すなわち、本人が伸び伸びと自分の能力を発揮しながら、さらにその能力を伸ばしていけるかどうかは、いかに周りにいる人たちが本人に「ストレス」を感じさせないようにできるかどうかにかかっていると言っても過言ではないのです。
「ヨイショ」したり「褒める」ことはとても有効
「発達障害の気質」を強く持つ人は、他の人より特定の「秀でた能力」を持っているということが少なくありません。
「発達障害の特性」というのは「秀でた能力」にもなり得るからです。
かつて「レインマン」という映画で、ダスティン・ホフマンが「サヴァン症候群」の人の役を好演していました。
「サヴァン症候群」とは知的障害や自閉症などの発達障害のある人が、その障害とは対照的に優れた能力を発揮し、ある特定の分野の記憶力、芸術、計算などについて、非常に高い能力を有している状態のことを言います。
ダスティン・ホフマンが演じた役の人は「知能指数自体は高いものの、自分を上手く表現できず自分の感情をよく理解できていない状態」である一方、分厚い本でも1回読んだだけで覚えてしまうという並外れた暗記力を持ち、さらには桁数の多い掛け算や平方根を瞬時に計算してしまうほど数字に強いという特殊な才能を持っていました。
個人的には、ダスティン・ホフマンが弟役のトム・クルーズにカジノに連れて行かれ、すべてのカードを瞬時に暗記してしまうという能力を活かしてポーカーで勝ち続けるシーンが特に印象に残っています。
また、以前あるテレビ番組で、高度の「自閉症」の人がビルを一目見ただけで階数や窓の枚数までをも正確に模写できていたのを観て、とても驚いたことがあります。
そもそも「自閉症」の人の脳は、特に前頭葉機能が低下しており、これによって一部の脳機能がいわば「解放」され、ある特定の突出した能力を発揮できるようになるのではないかと考えられています。
前頭葉には脳の他の部位の働きが「暴走」しないように「抑制」するという調整機能があるからです。
つまり、前頭葉機能の低下によってこの「抑制」が利かなくなると、「抑制」が外れた脳の部位に応じて特定の「秀でた能力」が発現することになるのではないかと考えられているのです。
すると人間であれば誰しもこのような突出した能力が潜在的に備わっているということにもなりますが…。
ただ、そこまで突出した才能までには至らなくても、例えばASD(自閉症スペクトラム症)傾向の強い人では「特定のことに執着する」気質が、場合によっては「集中力が高い」「ひとつのことをずっとやっていられる」能力に転じて、研究職や専門職、プログラマーなど特定の分野に特化した能力を発揮することになったり、「感覚の過敏性がある」という特性を活かして芸術家や音楽家などいわゆる五感の繊細さが要求される分野でその能力を発揮できたりします。
また、ADHD(注意欠陥多動症)傾向が強い人では「落ち着かずに動き回る」「飽きっぽい」「いろいろなことに興味を持つ」「おしゃべり」「注意散漫」といった特性が、とにかく「エネルギッシュ」で「活動的」「興味の範囲が広い」「社交的」「細かいことは気にしない」といった能力に転じて、起業して成功したり、出世して大企業の社長にまで昇りつめたりするなど、社会的に成功を収める人が少なくありません。
ASDとADHDは、どちらか一方だけの気質を有するというよりは、強弱の差こそあれ両者の気質を併せ持つことがほとんどであり、実際には上記したような能力がいくつが上手く組み合わさることで、社会的に成功しやすくなっているのかもしれません。
いずれにせよ社会のあらゆる分野において、その第一線で活躍する群には「発達障害」の気質を強く持つ人が多く含まれていると言われています。
そうするとある意味、「発達障害」の気質を強く持つ人たちこそが、パイオニアとして新たな領域や時代を切り開き、社会を牽引している存在であると言えるのかもしれません。
少し話が逸れましたが、「発達障害」の気質を強い人が、このように社会に大きく貢献できる可能性を秘めた特定の「秀でた能力」を伸ばしていくためには、先述したように、まずは成長過程においてできるだけ「ストレス」を受けないことに加え、周りの人たちから本人がやりたいことを伸び伸びと集中して取り組めるような「環境づくり」や「声掛け」を随時与えてもらう必要があるのではないかと考えています。
具体的には、本人が周りの人たちから「自分がやっていることや自分はこのままでいいんだ」という「自己肯定感」と「安心感」を与えられることが特に大事だと思っています。
そうするためには、たとえ失敗することがあったとしても「きっと次は上手くいくよ」と励ましたり、苦言を呈する時にも「よくできてるね。でもこうするともっとよくなるよ」などと、本人にできるだけストレスを与えないような言い回しをしたり、本人が前向きになれるような声掛けをすることが望ましいと言えます。
そして上手くいった時には、周りにいる人たちみんなで「よかったね」と喜んだり、「よくできたね」「すごいね」などと「褒める」のです。
そうすればさらに本人のモチベーションは上がっていくに違いありません。
いわゆる「ほめて伸ばす」というやつです。
そして、いわば社会の枠からはみ出たような部分や特性については、周りの人たちが一定の理解をしながら許容しつつ、実際には適宜フォローもしながら、本人が自然に自覚・学習できるように時間をかけながら緩やかに修正を促していくのです。
そうすると、やはり「本人の突出した能力を活かすも殺すもすべては周りの人たち次第である」ということになります。
そして、これは何も「発達障害」の気質の強い人だけに限ったことではなく、実は子育てや子供の教育全般においてもまったく同じことが言えるのではないかと考えています。
次回に続きます。
最後までお読みいただきまして、ありがとうございました。
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