認知症診療あれこれ見聞録 ~エンヤーコラサッ 知の泉を旅して~

日々認知症診療に携わる病院スタッフのブログです。診療の中で学んだ認知症の診断、治療、ケアについて紹介していきます。

発達障害ともの忘れ(20)

前回は、もともと「脳神経細胞脆弱性」を有している「発達障害の気質」の強い人ほど脳神経細胞が変性しやすく、それで認知症を伴う神経変性疾患も発症しやすくなっているため、脳神経細胞の健康を保つためには、日常的にいかに「ストレス」を感じさせないようにできるかが非常に大切であること、さらには本人が伸び伸びと自分の能力を発揮しながらその能力を大きく伸ばしていくためには、周りの人が「ヨイショ」したり「褒めたり」して本人のモチベーションを上げることが非常に効果的なので、いうなれば「発達障害の気質」の強い人の突出した能力を活かすも殺すも周りの人たち次第である、というお話をしました。

今回はその続きになります。

 

成長期にある子供の脳神経細胞はまだ未成熟なために「ストレス」による影響を受けやすい

前回の最後に、「脳神経細胞脆弱性」を有する「発達障害の気質」が強い人たちが持つ突出した能力を伸ばせるのか、逆に「ストレス」を与えて脳を「委縮」させてしまうのかは、いわば周りにいる人たちの対応に掛かっているとも言えるが、これは何も「発達障害」の気質の強い人だけに限ったことではなく、実は子育てや子供の教育全般においてもまったく同じことが言えるのではないか、というお話をしました。

実際、「発達障害の気質」が強い人たちに対して周りにいる人たちがとるべき望ましい態度や対応というのは、本来あるべき望ましい子育てや子供への教育のあり方ついて考える時にも、非常に参考になるものだと思います。

人間の心と身体が大きく成長する子供時代には、脳神経細胞も大きく発達・成熟します。

その発達・成熟をいかに妨げないようにできるのか、さらにはいかに促していくことができるかのどうかが、将来ある子供たちにとっては一番大切なことであり、これが子育てや子供への教育においては大きな目的のひとつにもなるからです。

そうであるならば、まずそのような時期にある子供たちに対し、頭ごなしに大声で、恐怖感を与えるようなやり方で「怒る」ということは避けなければなりません。

怒られるに至った理由は何であれ、いわば「威嚇」されるような怒られ方では子供たちは間違いなく大きな「ストレス」を受けることになるでしょうし、それでは子供たちの心を大きく「委縮」させてしまうばかりか、実際に脳神経細胞をも傷つけることになって脳を「萎縮」させかねないからです。

というのも、発達・成長段階にある子供の脳神経細胞というのは、まだ未成熟ゆえに「ストレス」による影響を非常に受けやすくなっているのです。

すると、「ストレス」による影響を非常に受けやすいという点においては、生まれつき「脳神経細胞脆弱性」を有する「発達障害の気質」が強い人たちほどではないにせよ、発達・成長段階にある子供たちの脳神経細胞も同じだと言えます。

それゆえ、大人が子供の心や脳に大きな「ストレス」を与えるような怒り方をすることは、脳神経細胞の発達・成熟を阻害させかねないため、できるだけ避けなければならないのです。

本来どおりに子供の脳神経細胞が大きく発達・成熟していく場合と、逆に「萎縮」させられてしまう場合とでは、その差は時間が経てば経つほど大きくなっていくことは間違いないからです。

 

子供に大きな「ストレス」を与えるような怒り方や暴言・暴力が脳に及ぼす悪影響は想像以上に大きい

ただ、そうはいっても子供たちが間違ったことをした時には、周りにいる大人はそれが間違いであることを本人にしっかり伝え、注意する必要があるでしょう。

では実際そんな時に大人は、どのような対応をしたら良いのでしょうか。

言えることはまず、感情に任せて「怒る」のではなく、子供に「なぜそうしてはいけないのか」をちゃんと理解してもらえるように伝えなければならないということです。

つまり、「怒る」のではなく、「諭す」ように「叱る」のです。

しかし私自身もそうですが、たとえそのことを頭では分かっていても、いざその場になってみると、なかなか実行するのが難しかったりします。

私が子供だった頃は、まだまだ大人が「躾」や「指導」と称して子供に「手を上げる」ことは、世間ではいわば当たり前のことでした。

私自身そのような時代に育ってきたこともありますし、ましてや相手が自分の子供だったりすると、ついつい感情的になって怒ってしまうことも少なからずあります。

怒った後はそれでいつも反省することになるのですが…。

しかしそのような時代であっても、行き過ぎた暴言・暴力を伴うような「躾」や「指導」というのは、当然ながら非難されるものでした。

大人が子供に「手を上げること」が許容されていたのはあくまでも、大人と子供の間にしっかりした信頼関係や愛情関係が構築されていて無言のうちに心の交流がなされているような場合だったり、子供に伝えるべき大切なことをしっかり受けとめてもらうという目的があって、しかも子供の心にもそれを受け止めるだけの余裕がある場合や、子供の心にできるだけ大きな「ストレス」にならないよう手加減されている場合などに限られていたのではないかと思います。

「手を上げる」ことは、そのような場合に限って初めて大事なことを伝える手段のひとつとして用いられることを許容されていたに過ぎず、そこから少しでも外れたものや子供の立場に立って考えることなしに行使されたものなどは、まさしく行き過ぎた暴言・暴力だったのでしょう。

いずれにせよ、子供に暴言・暴力を振るうということは、発達・成長段階にある脳神経細胞を大きく傷つけたり、脳を「委縮」させてしまうことになりかねず、本来あるべき脳神経細胞の発達・成熟そして心の成長をも大きく阻害しかねないということを、大人はしっかり心に留めておかなければならないと思うのです。

ひどい場合には、子供の心にPTSD(心的外傷後ストレス障害)という大人になっても消えない深刻な傷を残してしまうこともあります。

さらにいえば、もし発達・成長段階にある子供に対して日常的に暴言・暴力が振るわれたような場合には、後天的に「発達障害」を生じさせてしまう可能性すらあるのです。

これはとても恐ろしいことではないでしょうか。

ちなみに、自分の子供に暴言・暴力を振るうような親は、自分自身も子供の時に同じような仕打ちを親から受けていたことが多いとされています。

もしそうであるなら、子供たちの心に大きな「ストレス」を与える暴言・暴力というのは、子供やその子供にまで及ぶような「負の連鎖」をもたらし、代々子供たちの心や脳の成長を阻害させかねないものだとも言えます。

また同時に、暴言・暴力を振るう親ほど、自分の感情をコントロールできなかったり、言葉で自分の気持ちを伝えることが苦手なASD(自閉スペクトラム症)的な「発達障害」の気質が強かったりします。

「頑固」「ゴーイングマイウェイ」「空気が読めない」「キレやすい」といったような気質のことです。

そうすると、このようなASD的な気質が強い親を持つ子供は、遺伝によってその気質を引き継ぎやすいという「先天的」なリスクだけでなく、成長段階において親から不適切な仕打ちを受けやすいという「後天的」なリスクも負っていることになります。

生まれつき「発達障害」の気質が強くて「脳神経細胞脆弱性」を有しており、心ない大人や親から日常的に暴言・暴力にさらされているとするならば、その子供が将来にわたって被るであろう暴言・暴力の悪影響は、計り知れないほど大きくなるに違いありません。

しかし、そんなことはどんな大人も親も望んではいないはずです。

大人が子供の成長の芽を摘むようなことは決してあってはなりません。

逆に大人には、子供の将来の可能性を拡げ、成長する子供の背中を後ろから押してあげる役目があるのだと思います。

子供にはいわば無限の可能性がありますが、これは言い換えれば子供の脳神経細胞の発達・成長には無限の可能性があるということになります。

そしてこのことは、「脳神経細胞脆弱性」を有しているはずの「発達障害」の気質が強い人たちが、これまでに何人も各分野の第一線で活躍したり、社会的に大成功したりしていることによって、もうすでに証明されているのではないかと思うのです。

 

次回に続きます。

最後までお読みいただきまして、ありがとうございました。

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