認知症診療あれこれ見聞録 ~エンヤーコラサッ 知の泉を旅して~

日々認知症診療に携わる病院スタッフのブログです。診療の中で学んだ認知症の診断、治療、ケアについて紹介していきます。

発達障害ともの忘れ(21)

前回は、成長期にある子供の脳神経細胞はまだ未成熟なために「ストレス」による影響を受けやすく、子供に大きな「ストレス」を与えるような怒り方や暴言・暴力が脳に及ぼす悪影響は想像以上に大きいというお話をしました。

今回はその続きになります。

 

「窓際のトットちゃん」から得られる子育てや教育のヒント

発達障害」の気質を強く持っているのにも関わらず、社会的に成功を収めている人は世界中にたくさんいらっしゃいます。

中でも日本で特に有名なのが、高齢ながら今も現役で活躍されている黒柳徹子さんではないでしょうか。

黒柳さんがご自身の子供時代のことを書かれた「窓際のトットちゃん」は国内外でベストセラーになっています。

この本では、トットちゃんこと黒柳さんが小学生時代を過ごされた「トモエ学園」のことが多く語られていますが、そこで紹介されているトモエ学園の教育、そして校長の小林宗作先生の人柄や生き方にはとても胸を打たれます。

戦前戦中を通じて小林先生がトモエ学園で実践されていた教育というのは、当時の日本においては特に先進的なものでしたが、その先進性というのは、現在においてもさほど変わっていないのではないかと思えるほどです。

トモエ学園で実践されていたのはいわゆる「子供中心」の教育です。

といっても、それは決して「子供がやることは何でも許される」といったようなものではありません。

大人が計画した教育内容を子供に一方的に詰め込むのではなく、子供自身がもともと持っている個性や興味・関心などを大切にしながら、子供が主体的に学べるようにして教育していこうというものです。

この教育精神は、小林先生の「どんな子も、生まれたときにはいい性質を持っている。それが大きくなる間に、いろいろな周りの環境とか、大人たちの影響でスポイルされてしまう。だから、早くこの『いい性質』を見つけて、それを伸ばして個性のある人間にしていこう」「子供を先生の計画にはめるな。自然の中に放り出しておけ。先生の計画より子供の夢のほうがずっと大きい」という言葉に集約されているかもしれません。

トットちゃんが何か騒動を起こした時には、小林先生からはいつも「きみは、本当はいい子なんだよ」と言われていたといいます。

この言葉は、黒柳さんにとってとても大きな支えになってくれたそうです。

黒柳さんというと、とにかく早口でおしゃべりでいつまでもしゃべり続けられるのではないかと思うほど頭の回転が速くてエネルギッシュで、とてもバイタイティーに富んでいるといったイメージがあると思います。

黒柳さんはその才能をいかんなく発揮され、TVの草創期から現在に至るまで活躍されています。

しかし子供時代のエピソードを読んでいくと、いわゆる「普通」の子供ではなく、今でいえばまさしく「発達障害」の気質が強い子供だったことが分かります。

 

トットちゃんはまさしくADHDの気質が強い子供

はじめトットちゃんは一般の小学校へ入学しますが、授業中にも関わらず窓際に立って大好きなチンドン屋さんを呼び込んでしまったり、そうかと思えば巣作りをしている鳥に大声で挨拶していたり、また物を出し入れする時に机を上げ下げするのがとても気に入ってしまい、わざと物を1つずつ出し入れするようにして頻繁に机をバタバタさせたりして、それで先生が「とても手に負えない」ということになってしまい、小学校をすぐに退学になってしまいます。

それで困ったお母さんが一生懸命探し回って見つけたのがトモエ学園でした。

トモエ学園への入学試験として一応校長の小林先生とトットちゃんは2人きりで面接をするのですが、その時先生から「何でも好きなことを話してごらん」と言われて、トットちゃんはまだ1年生だったにも関わらず、何と朝の8時からお昼まで約4時間もしゃべり続けたというのですから驚くばかりです。

トットちゃんは好奇心旺盛で次々と色々なことに興味を持ち、自分が「やりたい!」と思ったことがあると、周りの人や後先のことなどは考えず、すぐに実行しないと気が済まない性格でした。

そのため、思ったことがあるとすぐに口に出してしまったりするので、とてもおしゃべりでもあったのですが、これは同時に、それだけ色々なことに興味を持って考えていたという証拠でもあります。

さらに、色々なことを次々と長い時間話し続けることができたということは、とても頭の回転が速い証拠でもあり、いわゆる「普通」の人に比べるとそれだけ「突出した能力」を持っていたことになります。

これらのことから、黒柳さん本人も別の自伝で「自分はLD(学習障害)があったのかもしれない」と書いかれているそうですが、「発達障害」の中でも特に「ADHD注意欠陥多動性障害)」の気質を強く持っていたのではないかと思われます。

 

トモエ学園の教育は「発達障害」の気質が強い人にも適用できる「懐の深い」もの

トットちゃんは小学校時代に数えきれないほどの失敗をしています。

しかしトモエ学園では、子供がやりたいと思ったことについては、それがたとえ明らかに失敗しそうなことであっても、はじめから「それをしてはダメだ」と頭ごなしに止めるようなことはせず、できるだけ本人にやらせて大変なことを身をもって体験させ、その経験を通じて自ら「こうしてはダメなんだ」と納得させるということを大切にしていました。

そのため先生たちは、必要最低限の介入はするけれども基本的には子供がするのに任せ、それを温かい目で見守りながら、うまくいった時にはともに喜び、失敗した時には慰めたり、励ましたりすることで、次の新たな挑戦へと繋がるように子供たちをバックアップしていました。

そのためトットちゃんは大きな失敗をしても、それにめげることなく次々と自分の興味のあることに取り組んでいくことができました。

そんな時に小林先生からいつも言われていたのが「きみは、本当はいい子なんだよ」という言葉であり、それが心の支えになってたくさんの失敗を経験することができたのです。

ちなみに黒柳さんにとってこの言葉は、小学校を卒業した後もずっと心の支えになってくれたそうです。

しかし近頃はというと、人の失敗や失言を許容できないという社会風潮が強まっているのではないでしょうか。

そもそも人間というのは「失敗をする動物」であり、本来「おもいっきりたくさん失敗できる」というのが「子供の特権」のはずです。

挑戦には失敗がつきものですし、失敗からは多くのことが学べます。

失敗が多ければそれだけ成長する機会も増えるでしょう。

だから子供たちにはたくさん失敗してほしいし、失敗を恐れずに、たくさん挑戦してほしい。

それゆえ近頃の社会風潮が、子供たちの成長の機会をも制限してしまうのではないかと危惧されるのですが、ただどのような風潮にあったとしても、失敗を恐れずに躍動する子供たちの伸びやかな心を育てるのは、何をおいても、まずは周りにいる大人たちの「失敗を許容できる心」なのではないでしょうか。

しかし、いざその場になってみると、自分が口を出したり手を出したりしたいところをぐっと我慢して、子供が失敗するのを温かく見守っていくというのはとても難しくことで、想像以上に忍耐力が要求されることなのかもしれません。

ましてや、子供というのは、まだまだ自分の気持ちをコントロールしたり、言いたいことをうまく表現して相手に伝えるということが苦手だったりするので、その点についても充分踏まえたうえで温かく見守っていくことが必要になるのでしょう。

発達障害」の気質が強い子供が相手だったら、それはなおさらだと思います。

実は、トモエ学園にはいわゆる「特別」な子供だけではなく、「普通」の子供も通っていました。

しかしトモエ学園では、どんな子供も分け隔てなく一緒に同じ教育を受けながら、みんなで楽しく学校生活が送れるようにしていたといいます。

しかも子供たちみんなが自信を持って自分の個性を伸ばしていけるように、小林先生をはじめ先生がたみんなで一生懸命に知恵を絞っていました。

残念ながらトモエ学園は戦災のために小学校は閉校となり、その後も再建は叶いませんでしたが、実際には10年ほどしかない短い実働期間だったにも関わらず、何人もの著名人や物理学者など優秀な人材を輩出しています。

このことからだけでも、トモエ学園で実践された教育の実力や質の高さがうかがえると思います。

そうすると「発達障害」の気質が強かろうがなかろうが、身体に障害を抱えていようがなかろうが、子育てや教育に関わる大人たちに求められることは、要は「同じ」なのかもしれません。

つまり、子供の気質や障害の有無に関わらず、子育てや教育に関わる大人たちには、相手が子供であっても対等な人間として認め、相手の存在を肯定しながら目を見て伝えるべきことを伝えていけるのか、温かい目で見守りながら「待つ」ことができるのか、といったことこそが大切なのであり、そうであるならば「子育てや教育の現場で試されているのは子供の方ではなく、実は私たち大人の方なのかもしれない」ということです。

いずれにせよ教育機関として、このような教育を実践されていたトモエ学園の「懐の深さ」には驚くばかりです。

一般的な子育てや教育についてはもちろん、「発達障害」の気質が強い人に対して、周りの人たちはどのように接していけば良いのかについても、私たちに大きなヒントを与えてくれているからです。

そういった意味では、トモエ学園の教育方針や精神というのは、いまだに稀有で尊いものになっています。

そればかりか、時代の経過とともにますますその価値や必要性が高まってきているように思えてなりません。

 

次回に続きます。

最後までお読みいただきまして、ありがとうございました。

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