前回は、「窓際のトットちゃん」でトットちゃんが通っていたトモエ学園の教育についてご紹介し、そこで実践されていた教育は「発達障害」の気質が強い人にも適用できる「懐の深い」ものであり、私たちに大きなヒントを与えてくれるというお話をしました。
今回はその続きになります。
脳神経細胞は使えば使うほどに増える
かつて受験生のバイブルと称されていた「赤尾の豆単」という手のひらサイズの小さな英単語集がありました。
この豆単の前書きに「人間は忘れる動物である。忘れてもよい。忘れる以上に覚えればよいのである」と書いてあったのを今でもよく覚えています。
学生時代は、この言葉を励みに私もよく英単語の暗記に取り組んだものです。
そして当たり前のことかもしれませんが、忘れても忘れてもその度に何度も繰り返し覚え直すことによって、少しずつ英単語が身に付いていくのが実感できました。
実際、この言葉は脳の特性をよく捉えたものだと言えます。
そもそも人間の身体には「よく使う機能は発達し、あまり使わない機能は衰える」という性質があります。
これはもちろん脳も例外ではありません。
忘れてしまった英単語を繰り返し覚え直すことで、その英単語に対する脳神経の反応が次第に強まっていき、それで忘れにくくなるのではないかと考えられます。
実際、脳神経は使えば使うほど枝を伸ばして発達していくことが分かっていますし、それでよく使う脳の領域ほど脳神経のネット―ワークが強固になっていくのです。
これにはまた、もともと脳には「神経系が環境に応じて最適の処理システムを作り上げるために、よく使われるニューロンの回路の処理効率を高め、使われない回路の効率を下げる」という「脳の可塑性(かそせい)」という特性が備わっていることも大きく関与しているはずです。
いずれにせよ、脳は使えば使うほど、その領域がどんどん発達していくのです。
「人間の脳は使っていない領域がとても大きい」とも言われますが、そうであるならばやはり脳が持つ秘めた能力というのは未知数なのでしょう。
さらに、実は脳は使えば使うほど、単にその領域にある神経細胞が突起を伸ばしたり枝分かれしていくばかりでなく、脳細胞自体も増えていくということが最近になって分かってきました。
長年「人間の脳細胞というのは、生後は減ることはあっても、新たに増えることはない」と信じられてきたのですが、近年になって「脳細胞はいくつになっても増える」ということが、いくつもの研究を通じて明らかになってきたのです。
ちなみに脳細胞を増やすには、運動、外出、勉強といった活動がとても有効だそうです。
このように脳は使うほどにその領域の脳神経ネットワークが発達するばかりでなく、脳細胞自体も増えていくのです。
脳は耕すことができる
脳には何本もシワがあることは皆さんもご存じだと思います。
このシワは「脳溝」と呼ばれており、実は脳の表面積を増やすためにあると考えられています。
というのも、脳細胞は脳の表層に集まっているからです。
そのため必要な脳細胞数を確保するために、脳は表層を折り畳むような構造になっており、そうすることで表面積を増やしているのですが、それが外面的にはシワのように見えるのです。
先ほど脳は使えば使うほど脳細胞が増えていくとお話ししましたが、当然ながら脳細胞を増やすためには、それだけ脳の表面積も増やしていかなければなりません。
ただ、表面積を増やすにはそれだけ脳の折り畳み方も深くしていかなければならないので、脳のシワはどんどん深くなっていきます。
逆にいえば、脳のシワが深い人ほど、それだけよく頭を使っていて脳細胞も多いということになります。
このように、脳は使うほどに脳細胞が増えてシワも深くなるので、常々私は頭をよく使うことで「脳は耕すことができる」と言っています。
これを裏付けるような興味深いお話があります。
日本で初めてノーベル賞を受賞された物理学者の「湯川秀樹」博士のことは皆さんご存じだと思います。
実は湯川博士の脳は保存されているのですが、それを実際に見た人によると、その脳は一般的な人の脳に比べてひと回りサイズが小さくなっており、その代わり驚くほどシワが深かったそうです。
脳のサイズは小さいけれども、深くまでしっかり耕されていたということです。
湯川博士の脳が小さかったということから考えられること
このような特徴がある湯川博士の脳というのは、いくつかのことを物語っていると思うのです。
まず「脳のサイズが小さい」という特徴から考えられることがあります。
それは「発達障害の気質を少なからず持っていたのではないか」ということです。
実は、湯川博士の生前の様子について、私の大先輩にあたる人から伺ったことがあります。
その方は湯川博士と会議や会食などで何度か一緒になることがあったそうですが、ある会議の中で湯川博士にはどうしても納得いかないことがあったようで、実際それはまことに些細なことだったそうですが、それにも関わらず、いつまでもそのことにこだわってブツブツと何かを言っていたそうです。
その様子を見た私の先輩は「何て子供っぽい人なんだろう」と思ったそうです。
しかも、そういう風に思ったのは、その時ばかりではなかったとも言っていました。
そもそも社会のさまざまな分野において、その最先端で時代を牽引しているような人たちの一群には、ASD(自閉スペクトラム症)やADHD(注意欠陥多動性障害)といった発達障害的な気質を色濃く持つ人が多くいます。
そのような気質こそが、特定の分野の仕事や研究など、自分が興味があることに対して異常なほどまでに執着・没頭できたり、エネルギッシュに次々と色々なことに挑戦・行動できる原動力になっていたりするからです。
そして、その気質は同時にとても「子供っぽいもの」だったりします。
湯川博士はまさにノーベル物理学賞を受賞するほどの先進的な業績を残しました。
それほど優秀な物理学者であると同時に、「子供っぽい性格」も持ち合わせていたということから、やはり湯川博士は発達障害の気質を強く持っていたのではないかと考えられます。
「子供っぽい性格」というのは、言い換えれば「理性的に行動できない」「周りの状況に合わせて振る舞うことができない」「相手を気遣った言動ができない」「自分の欲求を抑制できない」「我慢できない」といったものになりますが、これらにはすべて「前頭葉」の働きが大きく関与しています。
「前頭葉」は脳の他の部位が暴走しないように「抑制」したり、「調整」したりする働きをしているため、周りの状況に応じて随時「我慢」しながら「理性的」に振る舞うといった、その人が社会の中で円滑に暮らしていくために必要な「社会性」の形成に深く関与しているとも言えます。
そのため「前頭葉」の機能が低下していたり、未発達のままだったりすると、いわば「前頭葉のタガが外れる」ことになって、良くも悪くもさまざまな症状が出てくることになるのです。
つまり、発達障害の気質というのは、「前頭葉」の機能低下が深く関与して現れるものだと言えます。
さらに、この「前頭葉」が脳全体に占める体積の割合というのは、なんと半分近くもあるのです。
人間の脳というのは、大きく前頭葉、頭頂葉、側頭葉、後頭葉の4つに分けられ、それぞれの体積比は1999年に出されたある報告によれば、前頭葉49.7%、頭頂葉22.5%、側頭葉15.8%、後頭葉10.7%となっています。
発達障害の気質が強い人ほど「前頭葉」が未発達のままだったり、発達障害の気質が強い人ほど有していやすい「脳神経細胞の脆弱(ぜいじゃく)性」のために、生きていく中でどうしても受けるさまざまなストレスによって、後天的に前頭葉が萎縮しやすいこともあると考えられます。
すると発達障害の気質が強い人ほど、いわゆる「普通」の人よりも「前頭葉」が小さくなりやすいのではないかと考えられ、さらに「前頭葉」が小さいのであれば、「前頭葉」が脳全体の約半分を占めている分、脳全体のサイズも小さくなりやすいのではないかと考えられるのです。
そして、これこそが湯川博士の脳が小さかった理由なのではないかと考えています。
次回に続きます。
最後までお読みいただきまして、ありがとうございました。
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