発達障害ともの忘れ(25)
前回は、発達障害の気質を強く持つ人ほど認知症になりやすいため「予防」が大事になるということと、認知症疾患は「発病」してから「ある一定以上」に脳細胞が減少して初めて「発症」するというお話をしました。
今回はその続きになります。
「脳を耕す」ことは認知症の「予防」にも繋がる
もともと脳を耕していた人と、あまり脳を耕していたなかった人では認知症のなりやすさに違いはあるのでしょうか。
それはもちろん「ある」と考えられます。
脳がしっかり深くまで耕されており、脳細胞が多くて脳神経ネットワークも発達しているような人では、多少脳細胞が脱落したとしても、まだまだ機能している脳細胞や脳神経ネットワークが十分残存していることから、すぐに認知症の症状が出現するようなことはないと考えられるからです。
つまり、たとえアルツハイマー型認知症などの認知症をもたらす神経変性疾患を「発病」していたとしても、実際に「発症」するまでには一定期間・タイムラグがあり、その期間がどのくらいの長さになるのかについては、その人がどれだけ脳を耕していたかに掛かっているということです。
さらにいえば、たとえ病気を「発病」していたとしても、その症状を一生「発症」させないということも決して不可能なことではないと考えています。
脳は耕せば耕すほど、認知症の「発症」に至らせないだけの脳機能の余力や貯金を増やすことができるのです。
ただ、そうはいっても人間の脳細胞というのは、病気の有無に関わらず、加齢によってどうしても減っていく傾向があります。
そのため何もしなければ、時間の経過とともにどんどん脳細胞は減っていってしまいます。
しかし、以前もお話したように「脳細胞はいくつになっても増える」ということが近年明らかになってきました。
そうであるならば「よく使う機能は発達し、あまり使わない機能は衰える」という「脳の可塑性(かそせい)」は、いくつになっても期待できるということです。
さらに、脳細胞を増やすには、運動、外出、勉強といった活動がとても有効であることも近年分かってきました。
神経変性疾患や加齢によって、確かに脳細胞は変性・脱落していきやすいけれども、日常的にこのような活動にしっかり取り組んでいけば、新たに脳細胞を増やしたり、脳神経ネットワークを発達させていくことも可能だということです。
まさしく「赤尾の豆単」の前書きに「人間は忘れる動物である。忘れてもよい。忘れる以上に覚えればよいのである」とあったように、認知症を「発症」させないためには、変性・脱落していく脳細胞の量以上に、脳を耕して脳細胞を増やしたり、脳神経ネットワークを発達させていけば良いのです。
そのことを身をもって証明されていたのが「きんさんぎんさん」だと言えます。
きんさんぎんさんは「きんは100歳。ぎんも100歳」というCMで一躍有名になりました。
きんさんぎんさんは100歳を超えていましたが、それでも心身ともに元気でしっかりしており、しかもそのお話はとてもユーモアに富んでいたのを覚えています。
その後、きんさんぎんさんはそれぞれ107歳と108歳で他界されていますが、実はぎんさんは長寿研究のために病理解剖されています。
そして病理解剖の結果、ぎんさんの脳には非常に強い萎縮が認められ、アルツハイマー型認知症の原因のひとつとされている老人斑(アミロイドβ)が多かったことから、脳だけみればまさしく「重度のアルツハイマー型認知症」の状態だったそうです。
しかし生前の様子からは、とてもそんなに重い認知症があるようには見えませんでした。
そうすると、やはり認知症疾患は「発病」していても「発症」させない方策があるのではないかと考えざるを得なくなります。
「脳を耕す」ことは認知症の「予防」だけでなく、認知症の「改善」にも役立つ
実は、きんさんはメディアに取り上げるまで「1から10まで数えることができない」ほどの認知症を患っていただけではなく、歩くこともできない状態だったそうです。
それがテレビに出演したり、頻繁に多くのメディアに取り上げられるようになってから、どんどんしっかりしてきたというのです。
おそらく多くの人たちが頻繁に訪れる存在となったことで、それまでよりも緊張感のある、メリハリある生活を送れるようになったことが非常に良かったのだと思われますが、実際きんさんぎんさんの生活習慣には「認知症」を改善させたり、「健康寿命」を伸ばすヒントがあると考えられ、2人の生活様式が専門機関で研究されてきました。
そして特に2人の食生活や運動習慣、新聞やテレビをよく見ていたこと、多くの人と交流する生活などが良かったのではないかと考えられるようになったのです。
まず、食生活については、動脈硬化や血栓を予防する効果のあるDHAやEPAを多く含む青魚を毎日のように食べていたこと、夕食はいつも世代の違った多くの家族と一緒に食卓を囲んでいたために、自然とバランスよく様々な食材を取り入れられていたことが良かったのではないかと考えられています。
実際に解剖を担当医師によると、脳の動脈や全身の大血管は年齢から考えると驚くほどしなやかで「動脈硬化」はごく軽度であり、「大げさではなく30歳か40歳若い状態だと思った」そうです。
運動習慣については、きんさんは一旦歩けなくなったものの下半身の中心とした筋力トレーニングに取り組んで徐々に歩けるようになったこと、さらにその後はきんさんもぎんさんも日課として30分以上散歩していたことが良かったのではないかと考えられています。
実際に、きんさんは「歩けなくなったら人間おしまいだ」と、ぎんさんは「人間は足からダメになる」とよく言っていたそうで、とにかくよく歩いていたというのです。
また、2人とも新聞をよく読んだり、テレビのニュースや国会中継をよく観たりしていて、世の中の動きにずっと関心を持ち続けていました。
いくつになっても新しいことを知る楽しさを求めて、好奇心を失わなかったことが、2人の生きる原動力になっていたのではないでしょうか。
そして多くの人と交流することで、とにかく「よくしゃべる」ことが特に良かったのではないかと考えられています。
ぎんさんは「わしらは双子だったから長生きできたんだね」と話していたそうですが、お互いが話し相手になってずっとおしゃべりしてこれたことが自分たちの長生きの秘訣だと考えていたようです。
さらに、たくさんいる家族とおしゃべりしていたことや、100歳を超えて人気者になってからはもっと多くの人たちとおしゃべりできるようになったことが良かったのだと考えられています。
日常的に色々な人と楽しく交流するだけでも「脳を耕す」ことができる
実際に人間にとっては、他の人たちと交流して社会性を保つということがとても大事なんだと思います。
他の人たちと言葉やジェスチャー、気持ちなどをやりとりしてコミュニケーションをとるというのは、とても高次なレベルの脳活動が必要とされるからです。
例えば誰かと会話する時には、相手の話や想いを受け止めて自分の気持ちや言いたいことを伝えなければなりません。
そのため、このような当たり前で何気ないやりとりをするだけでも、脳は大きく活性化されるのです。
このことを思い知らされたのが、今回のコロナ騒ぎです。
この間、コロナの感染対応のために、デイサービスをしばらくお休みしなければならない患者さんが続出しました。そうしたら、何人もの人がボーっとして反応が悪くなったり、会話もスムースにできなくなったりと、認知症の一気に進行してしまったのです。
さらに、その後しばらくしてデイサービスが再開し、また通い始めたら、少しずつですが顔や目の表情、受け答えの様子が以前の状態まで戻ってきたのです。
これにはとても驚きました。
しかしこのことを通じて、認知症のある人たちにとっては、デイサービスに通うことがいかに大切なことなのか、つまり定期的に外出して色々な人たちと交流することがいかに大切なことなのか、ということを改めて教えてもらったような気がします。
つまり、日常的に色々な人たちと交流したり、楽しくおしゃべりするだけでも、脳を大きく活性化させて「脳を耕す」ことができるということです。
きんさんぎんさんの例や、デイサービスを再開した患者さんの認知症の症状が改善していった例が、そのことを物語っていると言えます。
「脳を耕す」という視点で考えれば、高齢でも仕事を続けていたり、若い時から続けている趣味や得意なことがあって、いくつになってもそれに打ち込んでいけるというのは、確かに有利でしょう。
しかし、実際にそのような人というのはごく少数派であり、限られていると思います。
「脳を耕す」ためには、必ずしも専門的な難しいことを考えたり、行ったりしなければならないというわけではありません。
日常的にいろいろな人たちと楽しくおしゃべりするだけでも良いのです。
ただ毎日そのおしゃべりを継続していくことができるかどうかが大切になります。
そうすると、おしゃべりを楽しめる気心の知れた親しい人がいるのかどうか、そもそもおしゃべりするのが好きなのかどうかということも大切になるでしょう。
もちろん「おしゃべり」でなくても良いのです。
自分が楽しいと思えることを見つけ、それを毎日継続していくことこそが「脳を耕す」うえでは一番大切なことになると思うからです。
さいごに
ここまで25回にわたって「発達障害ともの忘れ」についてお話ししてきました。
このお話をするそもそもの出発点は「認知症外来を受診される患者さんの多くが、発達障害の気質を強く認める」ということでした。
そして「なぜそうなんだろう」ということから、色々なことを調べたり考えたりしてきたことをもとに、これまでお話ししてきました。
そして私がこのシリーズで一番お伝えしたかったことは、「発達障害の気質というのは、強弱の差こそあれ誰もが持ち合わせているものだ」ということであり、誰もが「認知症」になる可能性を少なからず有しているということです。
しかし、誰もが「できれば認知症にはなりたくない」と思っているはずです。
「ではどうしたらいいのか」ということで、「発達障害の気質が強いほど認知症になりやすい」のであれば、「認知症の予防や改善」について探っていくうえで「発達障害」を追求していくことが少なからず役に立つのではないかと考えたのです。
「自分が食べた物から自分の身体ができている」のであり、「自分が活動してきた結果が今の自分である」ということは間違いありません。
そうすると、その人がどのような生活を送ってきたかが、認知症の「発病」と「発症」にも密接に関与しているはずです。
ちなみに私は「身体と心は一体」であって、そうすると「自分の食べた物から心もできている」のではないかとも考えています。
実際、人間の心と身体の働きをコントロールしているのは、部位や領域は違えど同じ「脳」であり「脳神経」なのですから。
いずれにせよ「今まで自分がやってきたことの結果が今の自分である」のであれば、「よく使う機能は発達し、あまり使わない機能は衰える」という「脳の可塑性」が「認知症の予防や改善」においても、ひとつのキーワードになると考えました。
そして脳をたくさん使って「脳を耕す」ことが、認知症になりやすい傾向にある発達障害の人にとっても、認知症を予防・改善するうえで大いに役立つと考えたのです。
それは、たとえ認知症を「発病」している人であっても同じであり、場合によっては認知症を「発病」している人でも「発症」させないことや、「発症」している症状を改善させることも十分あり得ると考えています。
私たちは何度もそういった症例を経験してきているからですが、今回のシリーズでも「発達障害の気質」が強い方で、もの忘れを主訴に来院されてきた比較的若い3症例について、診断と治療経過を含めてご紹介いたしましたので、どうぞご参照ください。
今回のお話が少しでも皆さまのお役に立つのであれば、とても幸いです。
最後までお読みいただきまして、ありがとうございました。
【お知らせ】
これまで週1回のペースで記事を更新してまいりましたが、諸事情により今後は不定期にしていくことにいたしました。
毎週楽しみにお読みいただいていた方には、大変申し訳ない気持ちでいっぱいです。
記事の掲載は不定期になりますが、今後とも「認知症診療あれこれ見聞録」をどうぞよろしくお願いします。
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発達障害ともの忘れ(24)
前回は、発達障害の気質は「弱さ」であると同時に「強さ」にもなり得るものであり、発達障害の気質を強く持つ人ほど、自分の興味があることに特化して没頭したり、エネルギッシュに取り組んでいける傾向があり、それで脳を深くまで耕すことができたりするので、その点においては発達障害の気質が有利に働くこともあるというお話をしました。
今回はその続きになります。
発達障害の気質を強く持つ人ほど認知症になりやすいため「予防」が大事
今までも何度かお話ししてきたように、当院を受診される認知症患者さんの多くが、もともと発達障害的な気質を色濃く持っています。
その気質が何らかのストレスによって急激に前景化したり、加齢とともに徐々に強まってきたりすることによって、認知症様の症状を呈するようになったり、あるいは本当の認知症に移行してしまったという患者さんが非常に多くいらっしゃいます。
そうするとやはり、発達障害の気質が強い人ほど認知症を発症しやすいのではないかと考えざるを得ません。
そしてこれは、発達障害の気質が強い人ほど脳の器質的な特性として「脳神経細胞の脆弱(ぜいじゃく)性」を有していたり、「前頭葉が未発達」であったりすることが大きく関与しているからではないかと考えられるのです。
「脳神経細胞の脆弱性」があると、日常的に心身が受けるさまざまなストレスによって脳細胞がダメージを受けて変性しやすくなりますし、そもそも「前頭葉が未発達」なことで生じる前頭葉症状の多くは認知症の症状と共通しているからです。
ただ発達障害の気質を強く持つ人ほど、「脳神経細胞の脆弱性」があったり、「前頭葉が未発達」であるという「弱さ」を有している一方、自分の興味があることに特化して没頭したり、エネルギッシュに取り組んだりして脳を深くまで耕すことができるといった「強さ」も確かに有しています。
この「強さ」を活かすことができれば、人一倍深くまで脳を耕していくことができるようになり、特定の脳領域の脳細胞を増やしたり、脳神経の枝をたくさん出させることになって、脳神経ネットワークをますます発達させていくことができます。
そうすると、結果的に特定の領域における脳のパフォーマンスが非常に高まり、得意な分野において社会に大きく貢献するような仕事をなすことも十分可能になるのです。
そしてこのことは「多くの偉人や成功者たちはどうも発達障害の気質を強く持ち合わせていたようだ」という事実によってすでに証明されているのではないか、ということは前回お話しした通りです。
しかしそうはいっても、やはり「発達障害の気質を強く持つ人ほど認知症になりやすい傾向がある」ことは、これまで長年当院の認知症外来で培ってきた経験に則っていえば「まぎれもない事実」だと言えます。
そうすると、やはり発達障害の気質を強く持つ人ほど、しっかり「認知症の予防」に取り組んでいった方が良いだろうと思うのです。
認知症疾患は「発病」してから「ある一定以上」に脳細胞が減少して初めて「発症」する
「認知症」は、脳出血や脳梗塞、薬剤性、ビタミン欠乏症、腫瘍、その他内科疾患によるものを除けば、数年から数十年前に「発病」してゆっくり進行し、それでようやく「発症」に至る神経変性疾患が原因になっていることがほとんどです。
例えば、認知症疾患の中で一番多く、全体の6割以上を占めると言われる「アルツハイマー型認知症」は、進行とともに側頭葉内側面にある記憶中枢の海馬が委縮したり、後部帯状回、楔前部、頭頂葉の機能が低下していくことを特徴とする病気ですが、実は「発症」する20年前から始まっていることがあるとも言われています。
つまり、「アルツハイマー型認知症」は少なくとも「発症」する数年前には「発病」しているということです。
そして「発病」してから何年もかけて徐々に側頭葉や頭頂葉などにある脳細胞が変性して脱落していくのですが、この脱落する脳細胞の量が「ある一定以上に」なると認知症の症状が出現し、「発症」に至ると考えられています。
この時、脳の形態的には、脳細胞が脱落していくにつれ、脳細胞は脳の表層に集まっているため、脳の表層からだんだん委縮していくことになります。
そもそも脳は必要な脳細胞を確保するために表層を折り畳んだような構造になって表面積を増やし、それで外見上脳には脳溝というシワができているのですが、病気の進行によって脳の表層が委縮していけば、当然ながらそれに伴って脳溝が拡がり、シワが開いていくのです。
そのため、ある程度進行したアルツハイマー型認知症の人の脳は(もちろん他の認知症疾患でも進行してくれば同様に)、表層の萎縮によって脳溝が大きく拡がった形態になっています。
さらにアルツハイマー型認知症では、側頭葉内側面にある海馬の萎縮も伴うため、海馬の周りに健常者にはない隙間ができてくることも特徴的な所見になります。
どちらかというと海馬の萎縮が先行し、その後病気の進行に伴って徐々に、脳の表層の萎縮も進行していく傾向があるようです。
そのため脳溝が大きく拡がっているような場合には、病気が大分進行していることになります。
ただ、繰り返しになりますが、形態的にどんなに脳の萎縮があって脳溝が拡がっていたとしても、それがすなわち認知症の「発症」を意味しているわけではありません。
そのような場合には、確かに病理学的には病気を「発病」しており、しかもある程度進行しているのかもしれませんが、ただそれでも臨床的に病気を「発症」しているとは言いきれないのです。
あくまでも、「ある一定以上に」脳細胞が減少したことによって、実際に何らかの症状が出現して初めて病気が「発症」した判断され、診断されるからです。
そしてこの「ある一定以上に」というのが、実は「認知症の予防」について考えるうえで、とても大事な点になると考えています。
なぜなら、「ある一定」という「程度」には「個人差」があり、その人の「生活習慣」によっても大きく左右されるということが分かってきたからです。
次回に続きます。
最後までお読みいただきまして、ありがとうございました。
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発達障害ともの忘れ(23)
前回は、脳は使うほどに脳細胞が増えてシワも深くなるので、頭をよく使うほど「脳を耕すことができる」と言えるのではないかということや、湯川秀樹博士の脳の形態は一般的な人に比べるとひと回り小さいけれども、その代わり驚くほどシワが深かったということ、そしてそのことから推察できることについてお話ししました。
今回はその続きになります。
「脳を耕す」ことで潜在的な能力が引き出される
前回は湯川博士の脳の形態と生前のいくつかのエピソードから、博士はASD(自閉スペクトラム症)的な発達障害の気質を強く有していた可能性が高いというお話をしました。
もしそうであるならば、「脳神経細胞の脆弱(ぜいじゃく)性」を有していたり、「前頭葉」が未発達だったとしても、それ以上によく頭を使って脳を耕していくことができれば、社会のさまざまな分野においてその最先端に立ち、時代を切り開くような大仕事をしたり、社会に広く貢献できるような業績を残せるほどまでに、本来その人が持っている潜在的な能力を引き出していくことができる、ということを示唆しているようにも思います。
ちなみに湯川博士の師匠であり、しかも湯川博士に続いてノーベル物理学賞を受賞した朝永振一郎博士の師匠でもあった人がいます。
それはアインシュタイン博士の最後の弟子と言われていた荒木俊馬博士です。
前回は、私に湯川博士の生前の様子について教えてくれた大先輩がいたということをお話ししましたが、もともとその方は荒木博士と親しく交流しており、それがきっかけで湯川博士とも知りあったそうです。
そして荒木博士もまた湯川博士に劣らず「とても変わった人だった」といくつかのエピソードを話してくれました。
話が少し脱線してしまいますが、とても興味深いエピソードでしたので、以下に大先輩の語り口のままご紹介いたします。
荒木俊馬博士のエピソード
荒木先生は京都帝大の助教授時代に約2年半ベルリンへ留学しているんですが、行きの船でマルセイユまで行かなければいけないところを途中のナポリで降りてしまっているんです。
実はそこで、ある伯爵の未亡人と意気投合してしまい、それでその夫人のところに半年間も下宿していたというんです。
きっともうナポリまで来てしまえば、ベルリンなどすぐだろうなどと思っていたんでしょうが、留学に行く途中に半年間も下宿してしまうんですからハチャメチャです。
それで半年後にようやくベルリンまで行くんですが、ベルリンに着いた日がたまたまメーデーで街中大騒ぎになっており大変だったと言っていました。
その代わりベルリン大学に行ってからはしっかりアインシュタインのもとで勉学に励んでいたそうです。
当時は誰も理解していなかった「特殊相対性理論」についても「自分は理解していた」と当人は言っていましたから。
実際荒木先生が亡くなった時、遺品を整理していたら留学時代のノートが出てきて中を見てみたんですが、それはしっかりしたものでした。
荒木先生は大分世間離れしたところはありましたが、大学で教授連中がしっかり学問や研究に取り組んで業績を残しているかどうかについては厳しかったですからね。
そして実は、ベルリンから帰ってくる時も大変だったんだと奥さんから聞いたことがあります。
本人はどこやらからは陸路で帰るということにしたらしく、シベリア鉄道で満州の国境までは来れたんですが、そこでお金が尽きてしまったというんですね。
それで奥さんのところに「金を送れ」という電報が来たそうなんです。
「でもうちにはそんな大金ありゃしませんから、しょうがないので実家の父親にお願いしに行ったんです。そうしたら『送ってやれ』とお金を出してくれたんで助かったんですよ」と言っていました。
アインシュタイン博士の脳も小さかった
他にもまだいくつか面白いエピソードがあるのですが、荒木博士は本当に変わった人だったようです。
しかし荒木博士はアインシュタイン博士の弟子であり、ノーベル物理学賞を受賞した湯川博士と朝永博士の師匠でもあったわけですから、私としてはもっと日本人に知られていてもいいはずだと思っているのですが、なぜかあまり有名ではありません。
ちなみにアインシュタイン博士が来日したのも荒木博士がいたことが大きな理由の一つだったそうです。
また、荒木博士の師匠であるアインシュタイン博士も、とても変わっていたと言われています。
実際に「一人でいることが大好き」「好きなものしか食べない」「9歳まで流暢に話せなかった」「すぐにかんしゃくを起こしてキレる子供だった」といったエピソードが残されています。
そしてアインシュタイン博士の脳も死後研究されているのですが、やはり一般的な成人のものに比べるとサイズが小さかったそうです。
シワの深さについてはどうだったかは分かりませんが、おそらく他の人の何倍も脳を使っていたはずなので、脳の深くまでよく耕されていたのではないでしょうか。
いずれにせよアインシュタイン博士が天才的な業績を残したことを併せて考えれば、やはり発達障害の気質を強く有していた可能性が非常に高いと思われます。
発達障害の気質は「弱さ」であると同時に「強さ」にもなり得る
発達障害を持つ有名人にはアインシュタイン博士の他にも、古くはレオナルド・ダ・ヴィンチ、モーツァルト、エジソン、坂本竜馬、ウォルト・ディズニーなど、最近ではトム・クルーズ、スティーブン・スピルバーグ、スティーブ・ジョブス、ビル・ゲイツなどが知られています。
これらの人はいずれも歴史に名を遺すような偉業をなしていたり、社会に貢献するような大仕事を成し遂げています。
そうすると、たとえ発達障害の気質が強くて「脳神経細胞の脆弱性」や未発達な「前頭葉」を有していたとしても、脳をよく使って深くまで耕していくことができれば、大仕事を成し遂げるほどまでに自分の能力を高めていくことも十分に可能だということになります。
発達障害の気質を強く持つ人ほど、自分の興味があることに特化して没頭したり、エネルギッシュに取り組んでいけるという傾向があります。
そうすると、その興味のあることにのめり込めば込むほど高度な脳活動を要することになり、脳を深くまで耕すことができるので、その点においては発達障害の気質が有利に働くと言えるのではないでしょうか。
つまり、このような発達障害の気質が「弱さ」であると同時に「強さ」にもなり得るということです。
次回に続きます。
最後までお読みいただきまして、ありがとうございました。
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発達障害ともの忘れ(22)
前回は、「窓際のトットちゃん」でトットちゃんが通っていたトモエ学園の教育についてご紹介し、そこで実践されていた教育は「発達障害」の気質が強い人にも適用できる「懐の深い」ものであり、私たちに大きなヒントを与えてくれるというお話をしました。
今回はその続きになります。
脳神経細胞は使えば使うほどに増える
かつて受験生のバイブルと称されていた「赤尾の豆単」という手のひらサイズの小さな英単語集がありました。
この豆単の前書きに「人間は忘れる動物である。忘れてもよい。忘れる以上に覚えればよいのである」と書いてあったのを今でもよく覚えています。
学生時代は、この言葉を励みに私もよく英単語の暗記に取り組んだものです。
そして当たり前のことかもしれませんが、忘れても忘れてもその度に何度も繰り返し覚え直すことによって、少しずつ英単語が身に付いていくのが実感できました。
実際、この言葉は脳の特性をよく捉えたものだと言えます。
そもそも人間の身体には「よく使う機能は発達し、あまり使わない機能は衰える」という性質があります。
これはもちろん脳も例外ではありません。
忘れてしまった英単語を繰り返し覚え直すことで、その英単語に対する脳神経の反応が次第に強まっていき、それで忘れにくくなるのではないかと考えられます。
実際、脳神経は使えば使うほど枝を伸ばして発達していくことが分かっていますし、それでよく使う脳の領域ほど脳神経のネット―ワークが強固になっていくのです。
これにはまた、もともと脳には「神経系が環境に応じて最適の処理システムを作り上げるために、よく使われるニューロンの回路の処理効率を高め、使われない回路の効率を下げる」という「脳の可塑性(かそせい)」という特性が備わっていることも大きく関与しているはずです。
いずれにせよ、脳は使えば使うほど、その領域がどんどん発達していくのです。
「人間の脳は使っていない領域がとても大きい」とも言われますが、そうであるならばやはり脳が持つ秘めた能力というのは未知数なのでしょう。
さらに、実は脳は使えば使うほど、単にその領域にある神経細胞が突起を伸ばしたり枝分かれしていくばかりでなく、脳細胞自体も増えていくということが最近になって分かってきました。
長年「人間の脳細胞というのは、生後は減ることはあっても、新たに増えることはない」と信じられてきたのですが、近年になって「脳細胞はいくつになっても増える」ということが、いくつもの研究を通じて明らかになってきたのです。
ちなみに脳細胞を増やすには、運動、外出、勉強といった活動がとても有効だそうです。
このように脳は使うほどにその領域の脳神経ネットワークが発達するばかりでなく、脳細胞自体も増えていくのです。
脳は耕すことができる
脳には何本もシワがあることは皆さんもご存じだと思います。
このシワは「脳溝」と呼ばれており、実は脳の表面積を増やすためにあると考えられています。
というのも、脳細胞は脳の表層に集まっているからです。
そのため必要な脳細胞数を確保するために、脳は表層を折り畳むような構造になっており、そうすることで表面積を増やしているのですが、それが外面的にはシワのように見えるのです。
先ほど脳は使えば使うほど脳細胞が増えていくとお話ししましたが、当然ながら脳細胞を増やすためには、それだけ脳の表面積も増やしていかなければなりません。
ただ、表面積を増やすにはそれだけ脳の折り畳み方も深くしていかなければならないので、脳のシワはどんどん深くなっていきます。
逆にいえば、脳のシワが深い人ほど、それだけよく頭を使っていて脳細胞も多いということになります。
このように、脳は使うほどに脳細胞が増えてシワも深くなるので、常々私は頭をよく使うことで「脳は耕すことができる」と言っています。
これを裏付けるような興味深いお話があります。
日本で初めてノーベル賞を受賞された物理学者の「湯川秀樹」博士のことは皆さんご存じだと思います。
実は湯川博士の脳は保存されているのですが、それを実際に見た人によると、その脳は一般的な人の脳に比べてひと回りサイズが小さくなっており、その代わり驚くほどシワが深かったそうです。
脳のサイズは小さいけれども、深くまでしっかり耕されていたということです。
湯川博士の脳が小さかったということから考えられること
このような特徴がある湯川博士の脳というのは、いくつかのことを物語っていると思うのです。
まず「脳のサイズが小さい」という特徴から考えられることがあります。
それは「発達障害の気質を少なからず持っていたのではないか」ということです。
実は、湯川博士の生前の様子について、私の大先輩にあたる人から伺ったことがあります。
その方は湯川博士と会議や会食などで何度か一緒になることがあったそうですが、ある会議の中で湯川博士にはどうしても納得いかないことがあったようで、実際それはまことに些細なことだったそうですが、それにも関わらず、いつまでもそのことにこだわってブツブツと何かを言っていたそうです。
その様子を見た私の先輩は「何て子供っぽい人なんだろう」と思ったそうです。
しかも、そういう風に思ったのは、その時ばかりではなかったとも言っていました。
そもそも社会のさまざまな分野において、その最先端で時代を牽引しているような人たちの一群には、ASD(自閉スペクトラム症)やADHD(注意欠陥多動性障害)といった発達障害的な気質を色濃く持つ人が多くいます。
そのような気質こそが、特定の分野の仕事や研究など、自分が興味があることに対して異常なほどまでに執着・没頭できたり、エネルギッシュに次々と色々なことに挑戦・行動できる原動力になっていたりするからです。
そして、その気質は同時にとても「子供っぽいもの」だったりします。
湯川博士はまさにノーベル物理学賞を受賞するほどの先進的な業績を残しました。
それほど優秀な物理学者であると同時に、「子供っぽい性格」も持ち合わせていたということから、やはり湯川博士は発達障害の気質を強く持っていたのではないかと考えられます。
「子供っぽい性格」というのは、言い換えれば「理性的に行動できない」「周りの状況に合わせて振る舞うことができない」「相手を気遣った言動ができない」「自分の欲求を抑制できない」「我慢できない」といったものになりますが、これらにはすべて「前頭葉」の働きが大きく関与しています。
「前頭葉」は脳の他の部位が暴走しないように「抑制」したり、「調整」したりする働きをしているため、周りの状況に応じて随時「我慢」しながら「理性的」に振る舞うといった、その人が社会の中で円滑に暮らしていくために必要な「社会性」の形成に深く関与しているとも言えます。
そのため「前頭葉」の機能が低下していたり、未発達のままだったりすると、いわば「前頭葉のタガが外れる」ことになって、良くも悪くもさまざまな症状が出てくることになるのです。
つまり、発達障害の気質というのは、「前頭葉」の機能低下が深く関与して現れるものだと言えます。
さらに、この「前頭葉」が脳全体に占める体積の割合というのは、なんと半分近くもあるのです。
人間の脳というのは、大きく前頭葉、頭頂葉、側頭葉、後頭葉の4つに分けられ、それぞれの体積比は1999年に出されたある報告によれば、前頭葉49.7%、頭頂葉22.5%、側頭葉15.8%、後頭葉10.7%となっています。
発達障害の気質が強い人ほど「前頭葉」が未発達のままだったり、発達障害の気質が強い人ほど有していやすい「脳神経細胞の脆弱(ぜいじゃく)性」のために、生きていく中でどうしても受けるさまざまなストレスによって、後天的に前頭葉が萎縮しやすいこともあると考えられます。
すると発達障害の気質が強い人ほど、いわゆる「普通」の人よりも「前頭葉」が小さくなりやすいのではないかと考えられ、さらに「前頭葉」が小さいのであれば、「前頭葉」が脳全体の約半分を占めている分、脳全体のサイズも小さくなりやすいのではないかと考えられるのです。
そして、これこそが湯川博士の脳が小さかった理由なのではないかと考えています。
次回に続きます。
最後までお読みいただきまして、ありがとうございました。
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発達障害ともの忘れ(21)
前回は、成長期にある子供の脳神経細胞はまだ未成熟なために「ストレス」による影響を受けやすく、子供に大きな「ストレス」を与えるような怒り方や暴言・暴力が脳に及ぼす悪影響は想像以上に大きいというお話をしました。
今回はその続きになります。
「窓際のトットちゃん」から得られる子育てや教育のヒント
「発達障害」の気質を強く持っているのにも関わらず、社会的に成功を収めている人は世界中にたくさんいらっしゃいます。
中でも日本で特に有名なのが、高齢ながら今も現役で活躍されている黒柳徹子さんではないでしょうか。
黒柳さんがご自身の子供時代のことを書かれた「窓際のトットちゃん」は国内外でベストセラーになっています。
この本では、トットちゃんこと黒柳さんが小学生時代を過ごされた「トモエ学園」のことが多く語られていますが、そこで紹介されているトモエ学園の教育、そして校長の小林宗作先生の人柄や生き方にはとても胸を打たれます。
戦前戦中を通じて小林先生がトモエ学園で実践されていた教育というのは、当時の日本においては特に先進的なものでしたが、その先進性というのは、現在においてもさほど変わっていないのではないかと思えるほどです。
トモエ学園で実践されていたのはいわゆる「子供中心」の教育です。
といっても、それは決して「子供がやることは何でも許される」といったようなものではありません。
大人が計画した教育内容を子供に一方的に詰め込むのではなく、子供自身がもともと持っている個性や興味・関心などを大切にしながら、子供が主体的に学べるようにして教育していこうというものです。
この教育精神は、小林先生の「どんな子も、生まれたときにはいい性質を持っている。それが大きくなる間に、いろいろな周りの環境とか、大人たちの影響でスポイルされてしまう。だから、早くこの『いい性質』を見つけて、それを伸ばして個性のある人間にしていこう」「子供を先生の計画にはめるな。自然の中に放り出しておけ。先生の計画より子供の夢のほうがずっと大きい」という言葉に集約されているかもしれません。
トットちゃんが何か騒動を起こした時には、小林先生からはいつも「きみは、本当はいい子なんだよ」と言われていたといいます。
この言葉は、黒柳さんにとってとても大きな支えになってくれたそうです。
黒柳さんというと、とにかく早口でおしゃべりでいつまでもしゃべり続けられるのではないかと思うほど頭の回転が速くてエネルギッシュで、とてもバイタイティーに富んでいるといったイメージがあると思います。
黒柳さんはその才能をいかんなく発揮され、TVの草創期から現在に至るまで活躍されています。
しかし子供時代のエピソードを読んでいくと、いわゆる「普通」の子供ではなく、今でいえばまさしく「発達障害」の気質が強い子供だったことが分かります。
はじめトットちゃんは一般の小学校へ入学しますが、授業中にも関わらず窓際に立って大好きなチンドン屋さんを呼び込んでしまったり、そうかと思えば巣作りをしている鳥に大声で挨拶していたり、また物を出し入れする時に机を上げ下げするのがとても気に入ってしまい、わざと物を1つずつ出し入れするようにして頻繁に机をバタバタさせたりして、それで先生が「とても手に負えない」ということになってしまい、小学校をすぐに退学になってしまいます。
それで困ったお母さんが一生懸命探し回って見つけたのがトモエ学園でした。
トモエ学園への入学試験として一応校長の小林先生とトットちゃんは2人きりで面接をするのですが、その時先生から「何でも好きなことを話してごらん」と言われて、トットちゃんはまだ1年生だったにも関わらず、何と朝の8時からお昼まで約4時間もしゃべり続けたというのですから驚くばかりです。
トットちゃんは好奇心旺盛で次々と色々なことに興味を持ち、自分が「やりたい!」と思ったことがあると、周りの人や後先のことなどは考えず、すぐに実行しないと気が済まない性格でした。
そのため、思ったことがあるとすぐに口に出してしまったりするので、とてもおしゃべりでもあったのですが、これは同時に、それだけ色々なことに興味を持って考えていたという証拠でもあります。
さらに、色々なことを次々と長い時間話し続けることができたということは、とても頭の回転が速い証拠でもあり、いわゆる「普通」の人に比べるとそれだけ「突出した能力」を持っていたことになります。
これらのことから、黒柳さん本人も別の自伝で「自分はLD(学習障害)があったのかもしれない」と書いかれているそうですが、「発達障害」の中でも特に「ADHD(注意欠陥多動性障害)」の気質を強く持っていたのではないかと思われます。
トモエ学園の教育は「発達障害」の気質が強い人にも適用できる「懐の深い」もの
トットちゃんは小学校時代に数えきれないほどの失敗をしています。
しかしトモエ学園では、子供がやりたいと思ったことについては、それがたとえ明らかに失敗しそうなことであっても、はじめから「それをしてはダメだ」と頭ごなしに止めるようなことはせず、できるだけ本人にやらせて大変なことを身をもって体験させ、その経験を通じて自ら「こうしてはダメなんだ」と納得させるということを大切にしていました。
そのため先生たちは、必要最低限の介入はするけれども基本的には子供がするのに任せ、それを温かい目で見守りながら、うまくいった時にはともに喜び、失敗した時には慰めたり、励ましたりすることで、次の新たな挑戦へと繋がるように子供たちをバックアップしていました。
そのためトットちゃんは大きな失敗をしても、それにめげることなく次々と自分の興味のあることに取り組んでいくことができました。
そんな時に小林先生からいつも言われていたのが「きみは、本当はいい子なんだよ」という言葉であり、それが心の支えになってたくさんの失敗を経験することができたのです。
ちなみに黒柳さんにとってこの言葉は、小学校を卒業した後もずっと心の支えになってくれたそうです。
しかし近頃はというと、人の失敗や失言を許容できないという社会風潮が強まっているのではないでしょうか。
そもそも人間というのは「失敗をする動物」であり、本来「おもいっきりたくさん失敗できる」というのが「子供の特権」のはずです。
挑戦には失敗がつきものですし、失敗からは多くのことが学べます。
失敗が多ければそれだけ成長する機会も増えるでしょう。
だから子供たちにはたくさん失敗してほしいし、失敗を恐れずに、たくさん挑戦してほしい。
それゆえ近頃の社会風潮が、子供たちの成長の機会をも制限してしまうのではないかと危惧されるのですが、ただどのような風潮にあったとしても、失敗を恐れずに躍動する子供たちの伸びやかな心を育てるのは、何をおいても、まずは周りにいる大人たちの「失敗を許容できる心」なのではないでしょうか。
しかし、いざその場になってみると、自分が口を出したり手を出したりしたいところをぐっと我慢して、子供が失敗するのを温かく見守っていくというのはとても難しくことで、想像以上に忍耐力が要求されることなのかもしれません。
ましてや、子供というのは、まだまだ自分の気持ちをコントロールしたり、言いたいことをうまく表現して相手に伝えるということが苦手だったりするので、その点についても充分踏まえたうえで温かく見守っていくことが必要になるのでしょう。
「発達障害」の気質が強い子供が相手だったら、それはなおさらだと思います。
実は、トモエ学園にはいわゆる「特別」な子供だけではなく、「普通」の子供も通っていました。
しかしトモエ学園では、どんな子供も分け隔てなく一緒に同じ教育を受けながら、みんなで楽しく学校生活が送れるようにしていたといいます。
しかも子供たちみんなが自信を持って自分の個性を伸ばしていけるように、小林先生をはじめ先生がたみんなで一生懸命に知恵を絞っていました。
残念ながらトモエ学園は戦災のために小学校は閉校となり、その後も再建は叶いませんでしたが、実際には10年ほどしかない短い実働期間だったにも関わらず、何人もの著名人や物理学者など優秀な人材を輩出しています。
このことからだけでも、トモエ学園で実践された教育の実力や質の高さがうかがえると思います。
そうすると「発達障害」の気質が強かろうがなかろうが、身体に障害を抱えていようがなかろうが、子育てや教育に関わる大人たちに求められることは、要は「同じ」なのかもしれません。
つまり、子供の気質や障害の有無に関わらず、子育てや教育に関わる大人たちには、相手が子供であっても対等な人間として認め、相手の存在を肯定しながら目を見て伝えるべきことを伝えていけるのか、温かい目で見守りながら「待つ」ことができるのか、といったことこそが大切なのであり、そうであるならば「子育てや教育の現場で試されているのは子供の方ではなく、実は私たち大人の方なのかもしれない」ということです。
いずれにせよ教育機関として、このような教育を実践されていたトモエ学園の「懐の深さ」には驚くばかりです。
一般的な子育てや教育についてはもちろん、「発達障害」の気質が強い人に対して、周りの人たちはどのように接していけば良いのかについても、私たちに大きなヒントを与えてくれているからです。
そういった意味では、トモエ学園の教育方針や精神というのは、いまだに稀有で尊いものになっています。
そればかりか、時代の経過とともにますますその価値や必要性が高まってきているように思えてなりません。
次回に続きます。
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発達障害ともの忘れ(20)
前回は、もともと「脳神経細胞の脆弱性」を有している「発達障害の気質」の強い人ほど脳神経細胞が変性しやすく、それで認知症を伴う神経変性疾患も発症しやすくなっているため、脳神経細胞の健康を保つためには、日常的にいかに「ストレス」を感じさせないようにできるかが非常に大切であること、さらには本人が伸び伸びと自分の能力を発揮しながらその能力を大きく伸ばしていくためには、周りの人が「ヨイショ」したり「褒めたり」して本人のモチベーションを上げることが非常に効果的なので、いうなれば「発達障害の気質」の強い人の突出した能力を活かすも殺すも周りの人たち次第である、というお話をしました。
今回はその続きになります。
成長期にある子供の脳神経細胞はまだ未成熟なために「ストレス」による影響を受けやすい
前回の最後に、「脳神経細胞の脆弱性」を有する「発達障害の気質」が強い人たちが持つ突出した能力を伸ばせるのか、逆に「ストレス」を与えて脳を「委縮」させてしまうのかは、いわば周りにいる人たちの対応に掛かっているとも言えるが、これは何も「発達障害」の気質の強い人だけに限ったことではなく、実は子育てや子供の教育全般においてもまったく同じことが言えるのではないか、というお話をしました。
実際、「発達障害の気質」が強い人たちに対して周りにいる人たちがとるべき望ましい態度や対応というのは、本来あるべき望ましい子育てや子供への教育のあり方ついて考える時にも、非常に参考になるものだと思います。
人間の心と身体が大きく成長する子供時代には、脳神経細胞も大きく発達・成熟します。
その発達・成熟をいかに妨げないようにできるのか、さらにはいかに促していくことができるかのどうかが、将来ある子供たちにとっては一番大切なことであり、これが子育てや子供への教育においては大きな目的のひとつにもなるからです。
そうであるならば、まずそのような時期にある子供たちに対し、頭ごなしに大声で、恐怖感を与えるようなやり方で「怒る」ということは避けなければなりません。
怒られるに至った理由は何であれ、いわば「威嚇」されるような怒られ方では子供たちは間違いなく大きな「ストレス」を受けることになるでしょうし、それでは子供たちの心を大きく「委縮」させてしまうばかりか、実際に脳神経細胞をも傷つけることになって脳を「萎縮」させかねないからです。
というのも、発達・成長段階にある子供の脳神経細胞というのは、まだ未成熟ゆえに「ストレス」による影響を非常に受けやすくなっているのです。
すると、「ストレス」による影響を非常に受けやすいという点においては、生まれつき「脳神経細胞の脆弱性」を有する「発達障害の気質」が強い人たちほどではないにせよ、発達・成長段階にある子供たちの脳神経細胞も同じだと言えます。
それゆえ、大人が子供の心や脳に大きな「ストレス」を与えるような怒り方をすることは、脳神経細胞の発達・成熟を阻害させかねないため、できるだけ避けなければならないのです。
本来どおりに子供の脳神経細胞が大きく発達・成熟していく場合と、逆に「萎縮」させられてしまう場合とでは、その差は時間が経てば経つほど大きくなっていくことは間違いないからです。
子供に大きな「ストレス」を与えるような怒り方や暴言・暴力が脳に及ぼす悪影響は想像以上に大きい
ただ、そうはいっても子供たちが間違ったことをした時には、周りにいる大人はそれが間違いであることを本人にしっかり伝え、注意する必要があるでしょう。
では実際そんな時に大人は、どのような対応をしたら良いのでしょうか。
言えることはまず、感情に任せて「怒る」のではなく、子供に「なぜそうしてはいけないのか」をちゃんと理解してもらえるように伝えなければならないということです。
つまり、「怒る」のではなく、「諭す」ように「叱る」のです。
しかし私自身もそうですが、たとえそのことを頭では分かっていても、いざその場になってみると、なかなか実行するのが難しかったりします。
私が子供だった頃は、まだまだ大人が「躾」や「指導」と称して子供に「手を上げる」ことは、世間ではいわば当たり前のことでした。
私自身そのような時代に育ってきたこともありますし、ましてや相手が自分の子供だったりすると、ついつい感情的になって怒ってしまうことも少なからずあります。
怒った後はそれでいつも反省することになるのですが…。
しかしそのような時代であっても、行き過ぎた暴言・暴力を伴うような「躾」や「指導」というのは、当然ながら非難されるものでした。
大人が子供に「手を上げること」が許容されていたのはあくまでも、大人と子供の間にしっかりした信頼関係や愛情関係が構築されていて無言のうちに心の交流がなされているような場合だったり、子供に伝えるべき大切なことをしっかり受けとめてもらうという目的があって、しかも子供の心にもそれを受け止めるだけの余裕がある場合や、子供の心にできるだけ大きな「ストレス」にならないよう手加減されている場合などに限られていたのではないかと思います。
「手を上げる」ことは、そのような場合に限って初めて大事なことを伝える手段のひとつとして用いられることを許容されていたに過ぎず、そこから少しでも外れたものや子供の立場に立って考えることなしに行使されたものなどは、まさしく行き過ぎた暴言・暴力だったのでしょう。
いずれにせよ、子供に暴言・暴力を振るうということは、発達・成長段階にある脳神経細胞を大きく傷つけたり、脳を「委縮」させてしまうことになりかねず、本来あるべき脳神経細胞の発達・成熟そして心の成長をも大きく阻害しかねないということを、大人はしっかり心に留めておかなければならないと思うのです。
ひどい場合には、子供の心にPTSD(心的外傷後ストレス障害)という大人になっても消えない深刻な傷を残してしまうこともあります。
さらにいえば、もし発達・成長段階にある子供に対して日常的に暴言・暴力が振るわれたような場合には、後天的に「発達障害」を生じさせてしまう可能性すらあるのです。
これはとても恐ろしいことではないでしょうか。
ちなみに、自分の子供に暴言・暴力を振るうような親は、自分自身も子供の時に同じような仕打ちを親から受けていたことが多いとされています。
もしそうであるなら、子供たちの心に大きな「ストレス」を与える暴言・暴力というのは、子供やその子供にまで及ぶような「負の連鎖」をもたらし、代々子供たちの心や脳の成長を阻害させかねないものだとも言えます。
また同時に、暴言・暴力を振るう親ほど、自分の感情をコントロールできなかったり、言葉で自分の気持ちを伝えることが苦手なASD(自閉スペクトラム症)的な「発達障害」の気質が強かったりします。
「頑固」「ゴーイングマイウェイ」「空気が読めない」「キレやすい」といったような気質のことです。
そうすると、このようなASD的な気質が強い親を持つ子供は、遺伝によってその気質を引き継ぎやすいという「先天的」なリスクだけでなく、成長段階において親から不適切な仕打ちを受けやすいという「後天的」なリスクも負っていることになります。
生まれつき「発達障害」の気質が強くて「脳神経細胞の脆弱性」を有しており、心ない大人や親から日常的に暴言・暴力にさらされているとするならば、その子供が将来にわたって被るであろう暴言・暴力の悪影響は、計り知れないほど大きくなるに違いありません。
しかし、そんなことはどんな大人も親も望んではいないはずです。
大人が子供の成長の芽を摘むようなことは決してあってはなりません。
逆に大人には、子供の将来の可能性を拡げ、成長する子供の背中を後ろから押してあげる役目があるのだと思います。
子供にはいわば無限の可能性がありますが、これは言い換えれば子供の脳神経細胞の発達・成長には無限の可能性があるということになります。
そしてこのことは、「脳神経細胞の脆弱性」を有しているはずの「発達障害」の気質が強い人たちが、これまでに何人も各分野の第一線で活躍したり、社会的に大成功したりしていることによって、もうすでに証明されているのではないかと思うのです。
次回に続きます。
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発達障害ともの忘れ(19)
前回は、「認知症」や「発達障害」は、ある意味「社会の病気」でもあることや、「発達障害の気質」が強い人が問題なく過ごせるかどうかは周りの人たち次第であるというお話をしました。
さらには、周りにいる人たちの心持ち次第で、「発達障害の気質」を強く持つ人ほど有していやすい突出した能力をさらに伸ばし、その得意な能力を活かして逆に社会に貢献してもらえるかもしれないというお話もしました。
今回はその続きになります。
「発達障害の気質」が強い人ほどストレスをいかに減らせるかが課題
周りにいる人たちの認識や対応いかんで「認知症」や「発達障害」の症状は大きく左右されるということは、これまでにもお話ししてきたことです。
では、実際に「発達障害の気質」が強い人に対して、周りの人たちはどのように接していけば良いのでしょうか。
まず認識しておかなければならないことは、もともと「発達障害の気質」が強い人は「脳神経細胞の脆弱性(ぜいじゃく)」を有する傾向があるということです。
「脳神経細胞の脆弱性」とは、脳神経細胞がストレスに弱くて器質的に変性しやすいということです。
つまり、「発達障害の気質」が強い人ほどストレスによって脳神経細胞が傷つきやすく、ストレスの多い生活を続けることは、脳神経細胞の変性を後押しすることになりかねないのです。
ちなみに当院で「アルツハイマー型認知症」や「レビー小体型認知症」といった認知症を伴う神経変性疾患の診断を受けた患者さんやその家族に、本人の若い頃からの性格について振り返ってもらうと、もともと「発達障害の気質」を有しているケースがとても多くなっています。
このことから私たちは、もともと「脳神経細胞の脆弱性」を有している「発達障害の気質」の強い人ほど脳神経細胞が変性しやすく、それで神経変性疾患に至りやすいのではないかと考えています。
つまり、「発達障害の気質」が強い人ほどストレスの影響を受けやすく、それで認知症を伴う神経変性疾患に移行しやすくなっているのではないかということです。
そうすると、「発達障害の気質」が強い人たちにとっては、日常的にいかにストレスの少ない生活を送れるかどうかが脳神経細胞レベルの健康にとっては特に大事になるのです。
そればかりではありません。
脳神経細胞レベルの健康を保つだけでなく、脳神経細胞の発達や成熟を促すうえでも、いかにストレスの少ない生活を送れるかが大事になるのです。
すなわち、本人が伸び伸びと自分の能力を発揮しながら、さらにその能力を伸ばしていけるかどうかは、いかに周りにいる人たちが本人に「ストレス」を感じさせないようにできるかどうかにかかっていると言っても過言ではないのです。
「ヨイショ」したり「褒める」ことはとても有効
「発達障害の気質」を強く持つ人は、他の人より特定の「秀でた能力」を持っているということが少なくありません。
「発達障害の特性」というのは「秀でた能力」にもなり得るからです。
かつて「レインマン」という映画で、ダスティン・ホフマンが「サヴァン症候群」の人の役を好演していました。
「サヴァン症候群」とは知的障害や自閉症などの発達障害のある人が、その障害とは対照的に優れた能力を発揮し、ある特定の分野の記憶力、芸術、計算などについて、非常に高い能力を有している状態のことを言います。
ダスティン・ホフマンが演じた役の人は「知能指数自体は高いものの、自分を上手く表現できず自分の感情をよく理解できていない状態」である一方、分厚い本でも1回読んだだけで覚えてしまうという並外れた暗記力を持ち、さらには桁数の多い掛け算や平方根を瞬時に計算してしまうほど数字に強いという特殊な才能を持っていました。
個人的には、ダスティン・ホフマンが弟役のトム・クルーズにカジノに連れて行かれ、すべてのカードを瞬時に暗記してしまうという能力を活かしてポーカーで勝ち続けるシーンが特に印象に残っています。
また、以前あるテレビ番組で、高度の「自閉症」の人がビルを一目見ただけで階数や窓の枚数までをも正確に模写できていたのを観て、とても驚いたことがあります。
そもそも「自閉症」の人の脳は、特に前頭葉機能が低下しており、これによって一部の脳機能がいわば「解放」され、ある特定の突出した能力を発揮できるようになるのではないかと考えられています。
前頭葉には脳の他の部位の働きが「暴走」しないように「抑制」するという調整機能があるからです。
つまり、前頭葉機能の低下によってこの「抑制」が利かなくなると、「抑制」が外れた脳の部位に応じて特定の「秀でた能力」が発現することになるのではないかと考えられているのです。
すると人間であれば誰しもこのような突出した能力が潜在的に備わっているということにもなりますが…。
ただ、そこまで突出した才能までには至らなくても、例えばASD(自閉症スペクトラム症)傾向の強い人では「特定のことに執着する」気質が、場合によっては「集中力が高い」「ひとつのことをずっとやっていられる」能力に転じて、研究職や専門職、プログラマーなど特定の分野に特化した能力を発揮することになったり、「感覚の過敏性がある」という特性を活かして芸術家や音楽家などいわゆる五感の繊細さが要求される分野でその能力を発揮できたりします。
また、ADHD(注意欠陥多動症)傾向が強い人では「落ち着かずに動き回る」「飽きっぽい」「いろいろなことに興味を持つ」「おしゃべり」「注意散漫」といった特性が、とにかく「エネルギッシュ」で「活動的」「興味の範囲が広い」「社交的」「細かいことは気にしない」といった能力に転じて、起業して成功したり、出世して大企業の社長にまで昇りつめたりするなど、社会的に成功を収める人が少なくありません。
ASDとADHDは、どちらか一方だけの気質を有するというよりは、強弱の差こそあれ両者の気質を併せ持つことがほとんどであり、実際には上記したような能力がいくつが上手く組み合わさることで、社会的に成功しやすくなっているのかもしれません。
いずれにせよ社会のあらゆる分野において、その第一線で活躍する群には「発達障害」の気質を強く持つ人が多く含まれていると言われています。
そうするとある意味、「発達障害」の気質を強く持つ人たちこそが、パイオニアとして新たな領域や時代を切り開き、社会を牽引している存在であると言えるのかもしれません。
少し話が逸れましたが、「発達障害」の気質を強い人が、このように社会に大きく貢献できる可能性を秘めた特定の「秀でた能力」を伸ばしていくためには、先述したように、まずは成長過程においてできるだけ「ストレス」を受けないことに加え、周りの人たちから本人がやりたいことを伸び伸びと集中して取り組めるような「環境づくり」や「声掛け」を随時与えてもらう必要があるのではないかと考えています。
具体的には、本人が周りの人たちから「自分がやっていることや自分はこのままでいいんだ」という「自己肯定感」と「安心感」を与えられることが特に大事だと思っています。
そうするためには、たとえ失敗することがあったとしても「きっと次は上手くいくよ」と励ましたり、苦言を呈する時にも「よくできてるね。でもこうするともっとよくなるよ」などと、本人にできるだけストレスを与えないような言い回しをしたり、本人が前向きになれるような声掛けをすることが望ましいと言えます。
そして上手くいった時には、周りにいる人たちみんなで「よかったね」と喜んだり、「よくできたね」「すごいね」などと「褒める」のです。
そうすればさらに本人のモチベーションは上がっていくに違いありません。
いわゆる「ほめて伸ばす」というやつです。
そして、いわば社会の枠からはみ出たような部分や特性については、周りの人たちが一定の理解をしながら許容しつつ、実際には適宜フォローもしながら、本人が自然に自覚・学習できるように時間をかけながら緩やかに修正を促していくのです。
そうすると、やはり「本人の突出した能力を活かすも殺すもすべては周りの人たち次第である」ということになります。
そして、これは何も「発達障害」の気質の強い人だけに限ったことではなく、実は子育てや子供の教育全般においてもまったく同じことが言えるのではないかと考えています。
次回に続きます。
最後までお読みいただきまして、ありがとうございました。
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