認知症診療あれこれ見聞録 ~エンヤーコラサッ 知の泉を旅して~

日々認知症診療に携わる病院スタッフのブログです。診療の中で学んだ認知症の診断、治療、ケアについて紹介していきます。

発達障害ともの忘れ(23)

前回は、脳は使うほどに脳細胞が増えてシワも深くなるので、頭をよく使うほど「脳を耕すことができる」と言えるのではないかということや、湯川秀樹博士の脳の形態は一般的な人に比べるとひと回り小さいけれども、その代わり驚くほどシワが深かったということ、そしてそのことから推察できることについてお話ししました。

今回はその続きになります。

 

「脳を耕す」ことで潜在的な能力が引き出される

前回は湯川博士の脳の形態と生前のいくつかのエピソードから、博士はASD(自閉スペクトラム症)的な発達障害の気質を強く有していた可能性が高いというお話をしました。

もしそうであるならば、「脳神経細胞の脆弱(ぜいじゃく)性」を有していたり、「前頭葉」が未発達だったとしても、それ以上によく頭を使って脳を耕していくことができれば、社会のさまざまな分野においてその最先端に立ち、時代を切り開くような大仕事をしたり、社会に広く貢献できるような業績を残せるほどまでに、本来その人が持っている潜在的な能力を引き出していくことができる、ということを示唆しているようにも思います。

ちなみに湯川博士の師匠であり、しかも湯川博士に続いてノーベル物理学賞を受賞した朝永振一郎博士の師匠でもあった人がいます。

それはアインシュタイン博士の最後の弟子と言われていた荒木俊馬博士です。

前回は、私に湯川博士の生前の様子について教えてくれた大先輩がいたということをお話ししましたが、もともとその方は荒木博士と親しく交流しており、それがきっかけで湯川博士とも知りあったそうです。

そして荒木博士もまた湯川博士に劣らず「とても変わった人だった」といくつかのエピソードを話してくれました。

話が少し脱線してしまいますが、とても興味深いエピソードでしたので、以下に大先輩の語り口のままご紹介いたします。

 

荒木俊馬博士のエピソード

荒木先生は京都帝大の助教授時代に約2年半ベルリンへ留学しているんですが、行きの船でマルセイユまで行かなければいけないところを途中のナポリで降りてしまっているんです。

実はそこで、ある伯爵の未亡人と意気投合してしまい、それでその夫人のところに半年間も下宿していたというんです。

きっともうナポリまで来てしまえば、ベルリンなどすぐだろうなどと思っていたんでしょうが、留学に行く途中に半年間も下宿してしまうんですからハチャメチャです。

それで半年後にようやくベルリンまで行くんですが、ベルリンに着いた日がたまたまメーデーで街中大騒ぎになっており大変だったと言っていました。

その代わりベルリン大学に行ってからはしっかりアインシュタインのもとで勉学に励んでいたそうです。

当時は誰も理解していなかった「特殊相対性理論」についても「自分は理解していた」と当人は言っていましたから。

実際荒木先生が亡くなった時、遺品を整理していたら留学時代のノートが出てきて中を見てみたんですが、それはしっかりしたものでした。

荒木先生は大分世間離れしたところはありましたが、大学で教授連中がしっかり学問や研究に取り組んで業績を残しているかどうかについては厳しかったですからね。

そして実は、ベルリンから帰ってくる時も大変だったんだと奥さんから聞いたことがあります。

本人はどこやらからは陸路で帰るということにしたらしく、シベリア鉄道満州の国境までは来れたんですが、そこでお金が尽きてしまったというんですね。

それで奥さんのところに「金を送れ」という電報が来たそうなんです。

「でもうちにはそんな大金ありゃしませんから、しょうがないので実家の父親にお願いしに行ったんです。そうしたら『送ってやれ』とお金を出してくれたんで助かったんですよ」と言っていました。

 

アインシュタイン博士の脳も小さかった

他にもまだいくつか面白いエピソードがあるのですが、荒木博士は本当に変わった人だったようです。

しかし荒木博士はアインシュタイン博士の弟子であり、ノーベル物理学賞を受賞した湯川博士と朝永博士の師匠でもあったわけですから、私としてはもっと日本人に知られていてもいいはずだと思っているのですが、なぜかあまり有名ではありません。

ちなみにアインシュタイン博士が来日したのも荒木博士がいたことが大きな理由の一つだったそうです。

また、荒木博士の師匠であるアインシュタイン博士も、とても変わっていたと言われています。

実際に「一人でいることが大好き」「好きなものしか食べない」「9歳まで流暢に話せなかった」「すぐにかんしゃくを起こしてキレる子供だった」といったエピソードが残されています。

そしてアインシュタイン博士の脳も死後研究されているのですが、やはり一般的な成人のものに比べるとサイズが小さかったそうです。

シワの深さについてはどうだったかは分かりませんが、おそらく他の人の何倍も脳を使っていたはずなので、脳の深くまでよく耕されていたのではないでしょうか。

いずれにせよアインシュタイン博士が天才的な業績を残したことを併せて考えれば、やはり発達障害の気質を強く有していた可能性が非常に高いと思われます。

 

発達障害の気質は「弱さ」であると同時に「強さ」にもなり得る

発達障害を持つ有名人にはアインシュタイン博士の他にも、古くはレオナルド・ダ・ヴィンチモーツァルトエジソン坂本竜馬ウォルト・ディズニーなど、最近ではトム・クルーズスティーブン・スピルバーグスティーブ・ジョブスビル・ゲイツなどが知られています。

これらの人はいずれも歴史に名を遺すような偉業をなしていたり、社会に貢献するような大仕事を成し遂げています。

そうすると、たとえ発達障害の気質が強くて「脳神経細胞脆弱性」や未発達な「前頭葉」を有していたとしても、脳をよく使って深くまで耕していくことができれば、大仕事を成し遂げるほどまでに自分の能力を高めていくことも十分に可能だということになります。

発達障害の気質を強く持つ人ほど、自分の興味があることに特化して没頭したり、エネルギッシュに取り組んでいけるという傾向があります。

そうすると、その興味のあることにのめり込めば込むほど高度な脳活動を要することになり、脳を深くまで耕すことができるので、その点においては発達障害の気質が有利に働くと言えるのではないでしょうか。

つまり、このような発達障害の気質が「弱さ」であると同時に「強さ」にもなり得るということです。

 

次回に続きます。

最後までお読みいただきまして、ありがとうございました。

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