まなざしによるケア(1)
認知症の人は相手の表情や態度に敏感である
みなさんは認知症の人と接する時に、しっかり相手の目を見ているでしょうか。
「認知症の人だから・・・」と、あまりそんなことには気を払わずに接している人も多いかもしれません。
以前は私もそれほど意識はしていませんでしたが、今では「認知症の人だからこそ、相手の目をしっかり見ながら接しなければいけない」と感じています。
認知症になると多くの人に、程度の差はありますが、少しずつ言葉の意味が分からなくなってきたり(失語)、言葉の意味がすぐに想起できないといった症状が出てきます。
そんな場合、こちらがいくら丁寧に説明しても、本人は理解できずにますます混乱してしまったり、不安になったりしてしまいます。
すると、本人は相手が話している内容ははっきり分からないけれども、話のニュアンスだけでもつかもうと、必死に相手の話しっぷりや素振り、表情などを伺うようになります。
また、自分の置かれている状況が分からないといった場合にも、周りにいる人や相手の様子からその場の状況や雰囲気を探ろうとします。
おそらくこれらのことは、必ずしも本人が意識的に行っている訳ではないと思います。
ある意味、社会の中で生きていくための自己防衛的な、本能的な働きなのかもしれません。
これは、認知症が進行していく中で、言語機能に比べると、視覚や情動を司る機能は比較的後期まで保たれやすいということもあります。
そのため認知症になると、接する相手のことをよく見て、その表情や態度、雰囲気を敏感に察知したりするのです。
そして相手が自分に対して「どんな感情を持っているのか」ということを探ろうとするのです。
みなさんは、相手が「何を考えているのか」「どんな気持ちなのか」ということを探りたい時、相手のどこに一番注目するでしょうか。
誰かと会話をしている時、相手の本音や感情というのは、話の内容はもちろん、言い回しや言葉尻、口調、話している時の仕草や表情にも表れてくると思いますが、その中でもおそらく「目」に一番注目するのではないでしょうか。
なぜなら「目は多くのことを語る」ということを、人は経験的にも、本能的にも知っているからです。
そこで今回は、「認知症ケア」において「相手の目を見る」ということが、いかに大切であるかということについて、当たり前なことかもしれませんが、改めて考えてみようと思います。
「相手の目を見ながら会話をする」ということは
そもそも「相手の目を見ながら話をする」「相手の目を見ながら話を聞く」ということは、人が社会生活を円滑に営んでいくうえでは欠かせません。
もし誰かと会話をしている時に相手の目を見なかったら、それは「礼を欠くこと」になります。
そのため、相手の目を見ながら話をしたり聞いたりするということは、最低限のマナー・エチケットであり、普段から皆さんも意識せずに行っていることだと思います。
では、どうして会話をしている時に相手の目を見ないと「礼を欠くこと」になるのでしょうか。
昔から日本では「目は口ほどにものを言う」といわれます。
これは、目は「顔の表情」だけでなく「心の表情」も表すものだからでしょう。
人は目という「心の窓」を通して「心の動き」や「本音」が表れます。
そのため人は、意識的にも無意識的にも「目の表情」によって、相手に多くのメッセージを発しているのです。
そして相手は本能的に、そして即座にそれらのメッセージを察知します。
では、会話をしている時に相手の目を見ないということは、どういうメッセージを相手に発することになるのでしょうか。
それはおそらく「あなたには私の本音は言えません」ということだろうと思います。
すると相手は同時に、
「あなたに言えないやましいことがあるんです」
「あなたのことは信用していません」
「あなたのことなんか気にかけていません」
「あなたのことなんかどうだっていいんですよ」
といった印象も受けるかもしれません。
つまり、会話している時に相手が目を見てくれないということは、その人に対する不信感・不安感のもとになり、本人に少なからずストレスを与えることになりかねないということです。
逆に言えば、会話をしている時に相手の目を見るということは、
「あなたのことを見てますよ」
「あなたのことが大事で気にかけていますよ」
「あなたのことを信用していますよ」
というメッセージも同時に発することになり、それだけで相手に安心感を与えることができるのです。
次回に続きます。
最後までお読みいただきまして、ありがとうございました。
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